なつのおわり

粛々と

隣の武器職人

刹那的に毎日を生きすぎているのでツイートとか瞬間日記を頼りに記録してます。

毎日一時間、外を歩くようにしていて、その間は課題のSSの内容を考えていたりするんだけどもそのほかにもいろんなこと考えてるはずなのに次の日にはもうすっからかんになってしまうことが多いので、見返せるように。

手帳にも書いてはいるんだけどまじで筆記だと腱鞘炎になりそう一ページ書くだけでも。誰とも会わない日々が続いているからなのかもともとの性格なのかは定かではないけど、頭の中ではあーでもないこーでもないと考え事を色々としているらしい。

前は手帳一ページ埋めるだけでも逆にしんどい時期があったので(書くことなさすぎて)、そう考えると今は落ち着いた環境に身を置けているのかもしれない。

 

26日、テレビを見ていた。昭和歌謡曲特集。牧野真莉愛さんと目黒蓮さんが同じ画角に入ってしまったから画面割れたわ。(何回言うん)

それはそれとして、

番組の最後、中島みゆきさんの「ファイト!」、という曲が紹介されてフルサイズの歌が流れた。私はCMでしか聞いたことがなかったので、携帯を一度伏せてテレビ画面に集中した。

できることなら、ずっと中島みゆきさんの歌唱シーンだけを見ていたかった。御涙頂戴の演出は、逆に冷める。中島みゆきさんが喉を震わせる映像だけを見ていた方が、きっともっと内臓を掴まれるような気分になっていたような気がする。あくまでも仮定の話だけれど。

わたしは、「歌詞解釈の言語化」という作業があまり好みではなくて、この番組については好きなアイドルが(2人も)出ていたからホイホイ見ていた部分がある。実際2人とも顔が最高に良かったな・・・・・・(うるせえオタク)

言語化して意見として述べるのであればわざわざ歌手はその想いを音楽には乗せていないわけで、聞いた側が勝手に「こういう意味だよね〜」という解釈を言葉にしてしまいのは野暮ったいような気がしてしまうのだ。綺麗な音楽に乗せて、数ある言葉の中から厳選された密度の濃いフレーズを耳から取り入れてはぐっと腹の中に痛みを預かるような気持ちできいているので、なんかそれを安易に言語化するのは躊躇われる。

これはわたしが躊躇ってしまうだけの話だから別に他の人がしてるかどうかについてはいいも悪いも思わないんだけれども、これだけ器の大きな曲をきいても、やっぱり自分の立場以外を責め立てるような感想がTwitterにゴロゴロ転がっていて、まあなんとも世の中は大変なもんじゃなと思った。たくさんの人を救うための歌なのに、聞いた側が自分に当てはまるところだけを切り取って武器として使ってしまっては、世の中二度と平和になんかならないんだろうなというちょっとした絶望感があった。平和の祈りすら今や他人を攻撃するために加工ができる時代になっちゃっているんだろうな、とか考えてしまった。そういう考え方を持っている人が、もしかしたら明日乗る電車で隣の席に座っているかもしれない、とかそういうことを考えてしまって、どうしようもなく不安な気持ちになる日がある。