なつのおわり

粛々と

恥とかいう自意識まみれの概念

ブログを新しく作り直した。(これ)

古いのも別にそのままにはしてある。消す必要はないかと思ったので。

古いものといっても、去年営業いいねにうんざりしてnoteとは別に書こうとして作ったものなので、それほど古くもない。

でもたかだか半年前に書いていた文章ですら、今読むと「何じゃこれ」という気持ちになる。

 

なぜか。

 

答えはシンプルで、文章が下手なのだ。読んでいられない。

やっぱり私は文章を書くのが苦手だ。つくづく思う。

特に、人に「読ませる」文章を書くのが、とんでもなしに苦手だ。

自分の意見、考えを画面の先に「相手に伝える」ことを想定して書く文章が下手。

そもそもにして、そういう文章を書こうとしているときは指先の動きも鈍い。

たらたら考えながら書いているはずなのに、書き終わってみると「?」状態である。

仕事で言えば一番最悪なタイプ。時間がかかる上にクオリティが低いタイプだ。ええ加減にせえ。

 

逆に、推しのことを書いている(のはほぼnoteなのだが)ときはタイピングが鬼のように早い。

読まれる可能性を全く想定せずに自らの私利私欲のままに書き殴っているからである。もうメモ帳にやれそんなものは。(?)

アップしてから読み直してちょっと表現変かなとかそういう直しは入れるものの、まともに推敲することもしない。

でも自分で読み返してみても、そうやって書き殴っている文章の方が読みやすい。

なんなんだマジで。

学生の時からそうだった。小論文の類がどうも苦手で、適当に書いた(適当に書くな)舞姫の感想文がなぜか文集に選ばれる、みたいなことが多かった。

理論的じゃないんだろうな。おしまいやんけ。理論的であれ。(CV三四郎小宮)

考えるタイプの文章が苦手なの、人間として致命的すぎるだろ、ウケちゃうよそんなの。

 

で、(で?)

 

ブログを新しいものにしたのは、上記のように自分の文章がちょっと嫌だったのと、でもやっぱり文章を書くのがどうしても好きなんだよなという気持ちの狭間でゆらゆらした結果、無理しない書き方でブログ書けばいいんじゃないですか?という至極当たり前の結論に至ったからである。

前のブログに続けてこの記事から書き直してもよかったんだけど、気持ち切り替えたかったからブログ自体も変えた。

 

思ったことを淡々と書くようにする。閉鎖的な文章(閉鎖的?というか矢印が内に内に向かう文章)になるような気はするけど、

この量の文章を手書きで書き残しておこうとすると手が腱鞘炎になってしまうのでキーボードで打ちたいし、何よりインターネットだと自分の考え方が間違っていたときとか、もしかしたら新しい視点をもらうことができるかもしれない。

自分自身は外に向けて書く意思を持たないくせにそういう期待だけして本当に受動的な自分の性格が出ているというか情けない限りなのだが、

外側に対して向いているでかい矢印をみると胃もたれがしてしまうので、自分の文章くらい細々と普通に書きたい。無理したくないんだよな、はい。(?)

 

あとこれ最後に全然これまでの流れと関係ないんだけれども、今シナリオ教室に通っていて、コンクールに出したいという目標がある。

それに向けてあーでもないこーでもないの気持ちもあるので、その記録も取っておきたい。

去年くらいから手帳にひっそり書いてたんだけど、せっかくインターネットがあるので言葉に出すことにした。

夢を叶えるためには「言葉にすること」だって推しもいってるんでね。(うるせえオタク)

恥ずかしいなと思ってたんだけど、恥ずかしいという感情、あまりにも自意識のかたまりすぎるなと思って、もうどうでもよくなってしまいました。

恥ずかしいってなんで思うんだろ、とふと考えたら、それ誰かが自分のことをちゃんと見ている前提の話しすぎるやんけ〜と気づいちゃって、

極寒のアパートの一室でゲラゲラ笑ってしまいました。自意識、哀れすぎる。吹っ飛んでくれ。

正直演劇部とかにも入っていないし独学はキッツイなと思って通い始めて3ヶ月、ほやほや状態なので、まずはコンクールに出せるように頑張る。出せたらその次考える。

 

新年明けて1ヶ月経とうとしていてまた中途半端なタイミングで心機一転している自分がウケるんだが、とりあえずはほんっと、毎日ちょっとでもいいからアウトプット癖つけるぞ。

こんなん書いたら恥ずかしいかなとかもうどうでもいい、恥とか全て捨てろ。

ちゃんと書けよー、明日の自分。頼みます。